コンビニ24時
どうしてこういう状況になったのだと考える。
背後にはロッカー。へばりつくように背中と両腕をそこに預けている蓮野の股間の前には、床に膝をついて、蓮野のジッパーを降ろしている藤城の顔。ちなみに二人共に男である。
にも関わらず、藤城は、おかしなことなど一つもしていないといった平静とした表情で、早くも蓮野の下着の合わせ目に手をかけている。その動きには、淀みも躊躇も、みられない。
どうして、と考えるほうが不毛なのだろうかと思わされる。よく考えてみれば、どうしてなんて思案したところで、こういう状況に持ち込んだ主犯の脳を垣間見てみなければ、答えなど出るはずもないのだ。そして、その主犯は思惑など読み取れもしない平静な顔。
自分では見ようもないが、恐らく今の自分は、状況の不可解さに冷や汗を流しながらも、その一方で、この先に待っているであろう快楽を期待して、卑しい顔つきをしているに違いない。
藤城の冷たく細長い指が、合わせ目から蓮野のペニスを引きずり出す。既に期待に勃ち上がりかけている自分のモノを目にして、蓮野はバツの悪さに思わず目を逸らした。
夜七時、その電話は唐突に鳴り響いた。
といっても、蓮野のスーツの内ポケットに入れている携帯であるので、普段からマナーモードにしているそれは、実際には音をたてず、ただ左胸に振動を伝えただけである。びくり、と身体を震わせたことは言うまでもない。
嫌な予感がして、一瞬、無視したくなったその電話を、蓮野は渋々とポケットから取り出す。開いて、通話ボタンを押す前に、液晶に表示されている名前を見て、やはり無視をしたいと考えた。が、そんなことなどお見通しというように、今度は事務所内の電話が着信を知らせる。携帯も未だに振動を続けているというのに、だ。
出なくていい。同僚にそう伝える前に、向かいの席に座る二つ年上の先輩、矢崎が、既に受話器を取っていた。蓮野は無意識に出掛けた溜息を噛み殺す。
矢崎が受話器を肩に挟み、パソコンのキーボードをカタカタと叩きながら、ちらりと横目で蓮野を見た。ああ、やっぱり俺か。そう思いながら、矢崎が保留ボタンを押すのを見計らって、「出ます」と視線で伝えた。
「お電話変わ、」
「バイトがトンズラこいた。すぐ来い」
ガチャリ。
受話器を当てた耳に響いた遮断音に、呆気に取られた。開いた口が塞がらないとはこういうことだろう、と思い至るまでに数分を要した気がする。蓮野は今度こそ溜息を隠さず、重々しく受話器を置いた。
蓮野は大手コンビニ会社のスーパーバイザー、通称SVと呼ばれる、いわば営業のような職に就いている。が、営業といっても他社のように、客と直接に相対するのではなく、会社と店舗の架け橋のような役割を果たしている。と、言えば聞こえはいいが、要は会社と店舗の板ばさみになる職業だ。
全国のコンビニは、細かくエリアごとに分けられ、それぞれのエリアに一つ営業所というものが存在している。蓮野のようなSVは、本社雇用であるが、常駐しているのは担当地区のあるエリアの営業所だ。
その、蓮野が担当している店舗の中の一つに、先程こちらの挨拶も聞かず用件を伝えるだけ伝えて通話を切った男が、店長を務めている店があるのだ。
その男の名前を藤城という。歳は蓮野の二つ上だと言っていたから、先輩の矢崎と同い年の、三十歳なのだろう。その若さで店長というと、蓮野の同僚達は、藤城を営業所の雇われ店長だと思っているようだが、実際は違う。藤城は、彼の父親が十年間店長をしていた店を引き継いだのだ。
「現役は辛いがコンビニ業からは離れたくない」、そう願っていた父親の意思ごと引き継いだのだと、前担当者から聞いたときには、いかに出来た男なのかと感心したのだが。実際に初めて対面したときの第一声が、
「バイトがドタキャンした。お前、今日夜勤入れ」
という、容赦ない言葉だった。その時刻、午後六時。夜勤は午後十時から開始となっていた。まだ営業所に残っているデスクワークもあった。蓮野は、睡眠時間を大幅に削られることを悟ったうえに、藤城という男の酷薄さをも実感したのだ。
今日はまだマシなほうなのかもしれない。蓮野は思う。今すぐにということは、夜勤にはならないという可能性もある。睡眠時間が得られれば、それでいい。それをマシだと思えるくらい、藤城に、いや会社にと言うべきか。自分はもう飼い慣らされてしまったのだと観念して、蓮野は握ったままでいた受話器を置いた。
デスクの上を適当に整理し、荷物を持って席を立つ。壁にかかるホワイトボードの、「蓮野」の文字の横に、「直帰」のマグネットを貼る。
ふと感じた矢崎からの同情の視線は見なかったことにして、物理的にではなく重く感じる扉を開け、営業所を出た。
「やっと終わった………」
ゆっくり吸い込んだ息を吐き出したような蓮野の重い言葉が、店舗の事務所内に響く。それに相槌を打ったのは、沈み込むように身を預けたパイプ椅子の、ぎしり、という耳障りな音。しかし、ろくに座る暇もなかった蓮野には、そんな音ですら心地いいものに思えてしまう。
結局、蓮野がコンビニ店員として働かされた時間は、五時間であった。
この不景気のご時勢だ。通常勤務の後に副職としてコンビニでバイトする社会人も多いので、朝から仕事をした後でコンビニで働かされたと言っても、さほど驚かれることではないかもしれない。だが、実のところ、蓮野は前日にも藤城の店でバイトの代わりに出勤を命じられていた。しかも、夜勤だ。
昨夜十時から今朝六時まで店で勤務し、その後帰宅して風呂と仮眠を済ませ、今朝九時から営業所へ出勤。昨日朝に出勤してから、たった今まで、一体何十時間労働して何十分寝られたのか、そんな計算はホラー映画を鑑賞するより怖い。
とにかく、任務は果たしたのだから、いつまでも残っている必要はない。蓮野は、帰るぞ、と気合を入れるように大きく息を吐きながら立つと、制服を脱ぎながらロッカーに向かった。
「お疲れさん」
なんというタイミングなのか。
蓮野が制服をロッカー内にあるハンガーに掛けたところで、店内から藤城が休憩にあがってきた。恐らく藤城も疲れているのだろう、制服のジッパーを降ろして服を寛がせてから、規定で締めなければいけないことになっているネクタイを指でぐいっと引っ張り緩める。
こういう仕草を見るにつけ、蓮野は、きっと藤城は女性にモテるのだろうと常々感じていた。
甘いマスクとでも言うのだろうか。柔らかさを伴う整った顔立ちは、レジで女性客に微笑めば、誰もが見惚れてしまうほどである。肩につくほどではないが少し長めであるダークブラウンの髪も、さらりと靡くようで、彼の風貌の良さに拍車をかけていた。
蓮野の社では、社則で短髪を定められているため、蓮野は入社して以来ずっと短髪である。自分の髪と藤城の髪の違いを確かめるように髪を一撫でしてから、蓮野はロッカーの扉を閉めた。
「お疲れ様です。今夜の客足も上々でしたね」
「おかげでこっちはくたくただけどな」
はぁ〜、という盛大な溜息とともに、藤城は手近のパイプ椅子にどっかりと腰を下ろす。ぎしりと音を立て、背もたれに寄りかかる彼の、その仰け反る頭から、艶やかな髪がしなやかに垂れる。
「蓮野くん」
ふいに呼ばれ、どうしてか彼の様をじっと見つめていたことに気付いた蓮野は、ハッとしたように目を逸らそうとした。しかし、その直前に藤城に視線を捉えられ、自らの動作は叶わずに終わった。
「代役ありがとさん。これ、少ないけどバイト代な」
制服のポケットに手を突っ込み、バイト代とやらを弄る藤城。暫く注視していると、彼は小さく四角い物を、コトリとデスクの上に置いた。
「それって………」
期待をしていたわけではない。ないのだが、実際に予想通りのそれを目の当たりにさせられると、蓮野は肩を落とさずにはいられなかった。
「………チロルチョコ1個とか、園児でも喜ばないと思うんですけど」
「疲れたときには甘いモンって決まってんだよ」
商品名、チロルチョコ。黄色いパッケージの表には、「BIS」と書かれている。チョコの中にビスケットが入っている商品だ。
どこで決まっているのかなどとは到底聞けやしないが。その物自体は、蓮野がチロルチョコの中でも一番気に入っているもので、子供の頃からそれが一番好きだと以前藤城に話したことがある。
こういうところなんだよな、と。蓮野は、こそりと内心で独白する。
藤城からの無理だと思われる要求をついつい呑んでしまうのは、それが自分の仕事であるからという理由が第一ではあるが、それでも他店からの無理難題をこなすときよりも納得できているのは、きっと藤城のこういう些細な気遣いがあるからなのだろうと思っている。
呼び出されるときの、あまりにぶっきらぼうな物言い。どれだけ働いていようと有無をいわさず言い渡されるバイトの代役。それらは確かに心無いように思えてしまうが、最後には必ずこうして心配りをみせてくれる。しかも、蓮野が言った何気ない言葉も覚えているのだ。
藤城の店舗のバイトが、あまり辞めていかないのも頷ける。
「確かに、疲れたときに甘い物食うと、なんかホッとしますよね」
結局は自分も、あの小さな小さなチロルチョコですら甘受してしまうのだ。これは一種の、主人と使用人、飼い主と飼い犬の関係でもあるのではないかと、蓮野が薄っすらと苦笑いをしたそのとき。
「そういえば蓮野くんには昨日も代役頼んだんだっけな。相当疲れてんだろ」
藤城がデスクの上のチロルチョコを手にとって椅子から立ち上がった。そのまま足を踏み出すと、蓮野に向かって歩いてくる。ゆっくりと、けれど確かな歩調で。
もちろん蓮野は、彼がチロルチョコを手にしていることで、それを渡しにきてくれるのだと思い込んでいた。それが覆されたことを悟ったのは、僅か数十秒後のことだ。
藤城が、ロッカーを背にした蓮野の前に立つ。ほとんど身長差はないんだなと、今になって初めて実感した。
「あー……まぁそうですね。今朝もほとんど寝れてないですし」
「そしたら流石に、バイト代がチロルチョコってだけじゃ足んねーよな」
「え、他になんかくれるんですか?まさか、廃棄の弁当とかじゃ、」
「疲れマラって、よく聞くだろ?」
藤城が言葉を遮ったというよりは、蓮野自身が思わず言葉を飲み込んでしまった。言いかけた言葉のまま、口が馬鹿みたいに開いたままである。
固まってしまったのは口だけではなく、思考回路も、伝達神経も、全てが停止してしまった。
藤城が今言った言葉が何だったのか。そんなことすら考える余地がない。
藤城は、硬直したままの蓮野を無視するかのようにその場に膝を着くと、先ほど事務所に入ってきたときと何ら変わりない表情で顔を上げた。
「てことで、今日のバイト代は、こっちに変更な。まぁ、目でもつぶってりゃ、すぐ終わるし」
未だ現状を把握できていない蓮野を尻目に、藤城はポンポンと軽く蓮野の股間に触れる。
その刺激で、一気に脳内が起動を促した。
「ちょっ、ちょ、待ってください、どういうことすか!」
「どういうって、そのまんまだけど」
「だ、だから、それが分からないから聞いて………」
「いいから大人しく舐められときゃいいんだよ」
腹に手を当てられ、どんっと身体をロッカーに押し付けられる。ゴトッと微かな音が聞こえたのは、恐らくロッカーの中の物が落ちた音なのだろう。店内にいるバイト、確か名前を双海といったか。彼に見られてはマズイ状況なのではないかと、思い至る。
「でもっ、双海君が来たら、どうすんですか!」
「店にバイト一人しかいねーんだぜ?レジ空けて裏戻るような教育してねーよ」
それもそうだ。妙にそう納得してしまったのが、蓮野の敗因であるのだろう。
二の句を告がない蓮野を了承とみたのか、藤城がジッパーにかけていた手を動かし始めた。
そして話は冒頭に繋がる。
たとえ目を背けようとも、視界の片隅でゆらゆらと動くダークブラウンの頭が、否応無く状況を見せしめてくる。弥が上にも、蓮野の自身に纏わりつく粘膜が、現実を忘れようとはさせてくれない。
不覚にも、いや、不覚などと言ってしまっては藤城に失礼になるのかもしれないが、同性という時点でその言葉を使わざるを得ないのだと自分自身に言い訳をした。
どうしようもなく、気持ちがいい。
亀頭から玉の裏まで、口や舌だけでなく手も使い、余すところなく刺激を与えられる。ねっとりと生暖かい口内と硬く冷たい指のギャップ。緩急をつけて動く舌。一向に離れることなくしゃぶり続ける口。
そのどれもが、今まで奉仕された中でも一番だと思えるほどの魅惑的な材料だった。意図して目を離そうとしなければ、つい視線を下ろして藤城の姿を見ようとしてしまう。
そう、それが蓮野の二つ目の敗因だ。
天井を仰いで目を瞑り、一生懸命に波に飲み込まれないように堪えていたのだが。ほんの少しの好奇心で、ちらりと藤城の様子を窺った。窺ってしまった。
その瞬間、視線だけで蓮野を見上げた藤城と、まともに視線がかち合った。営業中のような柔らかさはない、何故か挑むような目。同時に、喉の奥まで含み込まれ、底から汲み上げるような強さで吸い上げられた。
図らずも、抵抗の術などありようもなく、蓮野はあっけなく爆ぜた。縋るように見上げた蛍光灯の白さに、藤城の眼差しが思い起こされ、目が眩んだ。
Fin
敢えて言いますが、蓮野×藤城です。
2009.08.05 杏冶
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