Black Joke

「あのさーナラちゃん…………恋、しちゃってみる?」

 隣に座るナラちゃんの瞳が揺れた。
 それはまさに、瞳の奥の火が強い風でもって吹き消されそうになるのを、ぐっと堪えたような揺らぎ。
 こんな喩えしちゃってオレって意外にポエマーだったんじゃん?と他人事のように考えてる脳の片隅で、なんであんなこと口走ってんだよ!と思っているオレがいる。

 全ての事の始まりは、ほんの数十分前だ。





 部室に置かれているパイプ椅子に座って、それとセットで置かれている長机に頬杖をつく。閉め切っている室内は汗の匂いやら埃の匂いやらでいい空気ではないけれど、暖をとるにはちょうどいい暖かさだ。少し身じろぐたびに舞い上がる埃が、陽光を受けてキラキラ反射しながら周りを漂う。
 俺達三年はもう自由登校。授業中を見計らって学校に来たおかげで邪魔するものはないし外も静か。そんな中でのんびりと頬杖ついてたら、勉強疲れもあって眠くなってくるってもんだ。

「寝るなー高山」

 隣に座ってるナラちゃんに叩かれ、ぺしっと軽い音を立てるオレの頭。やめてくれナラちゃん。今叩かれたら英単語抜けてくからマジで。

「何言ってんの、全然寝てねーし。………なんで分かった?」
「見りゃ分かる。つか、ねみーっつってた。気付いてねェのかよ」
「…………無意識?」

 てへ、とわざとらしく笑ってみせると、またもナラちゃんからの制裁。数少ない脳細胞が死滅しない程度にしてください。お願い。

「お前が呼び出したんだぞ。慰めるっつーならちゃんと慰めてみせなさい高山クン」
「え、抱いちゃえばいい?」
「却下。高山じゃゼッテー俺を満足させられん」
「オレのテクを甘くみるなよナラちゃん」

 ニヤリと笑って両手をワキワキと動かしてみせると、ナラちゃんが堪え切れないって感じで、ぶはっと吹き出した。

「オッヤジくせ!」
「ちょっとナラちゃん、癒えたばかりのオレのハートをブロークンさせる気ですか」

 真面目な顔で返せば、とうとう腹を抱えて笑い出すナラちゃん。黒目がちな目尻に涙まで浮かべていて、何がそんなにツボったのかは分からないけれど、本気で笑ってくれているならオレはそれで満足だ。
 だってナラちゃんは三年間ずっとツルんでるダチだから。野球部で知り合ってから、ほぼ毎日一緒にいて、笑ったり怒ったり色んなことをしてきた。ナラちゃんは、「ツライ」だとか「カナシイ」だとかのマイナスな感情をあんまり人にみせないからよく分からないけど、もしそういうことを思ってるなら、笑わせてあげたい。

 「フラれたー」と、特に悲しんでいる様子もないようなメールがナラちゃんから届いたのは今朝のこと。メールを見て、そのままナラちゃんに電話をかけ、「ちょっとガッコまで来い」と呼び出したのは、オレ。寒いとか風邪ひくとか、色々と文句を言ってはいたけど、それでもナラちゃんはガッコに来たから、もう既に「懐かしい」なんて感慨の湧いてしまう部室で、事のイキサツを聞いた。

 オレもつい最近、「進学先が違うから」なんて理由で、秋から付き合い始めた彼女にフラれたばかり。
 野球もできなくなったし勉強ばっかで息が詰まる、それの息抜きになるかもしれない。そんな軽い理由で付き合い始めた彼女だったけど、やっぱり別れるとなると多少なりとも寂しくなるもので。
 誰かに話を聞いてもらいたい。そう思ったときにパっと真っ先に浮かんだのがナラちゃんだった。フラれたことを話すと、「しょうがねーよ、高山。次に付き合うまでにテク磨いとけ」と真顔で言われて、「オレのテク知らねーだろナラちゃん!試させろ!」なんて怒ったフリしたら笑われて、オレも一緒になって笑った。そんな風に笑い合うのなんていつものことだったけど、何故だかいつもより、ナラちゃんの笑顔が、グっと心に残った。
 よく分からないけど、自分にとって嫌な話でも、ナラちゃんに話して笑い飛ばされると、詰りを取り除いてもらったみたいに、スっと気持ちが軽くなる。それは今に始まったことじゃなくて、仲良くなった三年前から、ずっとだ。
 だから、オレにとってのナラちゃんがそうであるように、ナラちゃんにとってのオレも、重い気持ちを軽くしてやれるヤツであればいいと思った。親友ってカテゴリーじゃなかったけど、一緒にいるのが居心地よくて楽しくて、何かといえば隣にいる、そんな相手だから。

「ナラちゃん笑いすぎだぜ。腹つるぞ」

 まだ笑いのひかないナラちゃんを見かねて、ロッカーの上に置かれてるティッシュ箱を取りにいく。ナラちゃんの涙を拭くためだ。ああ、なんて優しいオレ。なんちゃって自画自賛。
 箱をとって机の上に置いて、座っていた椅子をヤマちゃんの左隣にぴったりくっつけて座る。するとナラちゃんが、笑ったままオレを見た。

「ちょっと、ちけー」
「まーまー気にしない気にしない。オレが涙拭いてやっから」

 左手でティッシュを一枚とって、右腕をナラちゃんの肩に回す。まるで紳士のそれのように、柔らかく静かな動作でもって、ナラちゃんの目尻にティッシュを当てる。ティッシュの埃が舞い上がって、またキラキラと降る。

「………いっつもこうやって口説いてたり?」
「何を言っておられる奈良橋殿。わざわざ口説かなくても女子はオレにメロメロだっつの」
「その自信がどっからくんのか俺には分からん」
「確かな実績に裏付けされたモンだから」
「そんな実績、聞いたことありませーん。付き合っても最後にフラれんの高山じゃん」

 ナラちゃんがオレの顔を指差して笑う。笑いすぎて目に涙を浮かべて、それでもまだ尚、無邪気に笑う。
 こんなカンジの可愛い笑顔を見せられたら、女子なんかすぐ惚れちゃうんだろうな。
 と、そこまで考えて、ハタと思考が止まった。いやいやいや、可愛いってなんだ、可愛いって。男相手に、しかも、ずっと友達やってきたナラちゃん相手に、可愛い笑顔とか、何考えてんだオレ。

 どうかしてる。どうにも不覚な感情に、なぜだか罪悪感が湧いてきて少し顔を伏せた。初めて異性の身体に興奮して、そのあとすぐに罪悪感が湧いてきたときの感覚と少し似ている。なんなんだ、この気持ちは。いまだ引かないナラちゃんの笑い声が妙に耳に入り込んで、脳に直接触れるように刺激してくる。

 どうかしてる。チラリと横目で見たナラちゃんの笑顔が、どうしてかやっぱり可愛く見えた。
 そんな不届きな自分を振り払うように口を開く。

「こんなイケメンを振るとか、アイツら見る目ねーんだって」
「それ元カノが聞いたらキレるだろ。なんだっけ?「二人のために別れよ」だっけ?」
「あー、アレな。たしかナラちゃんが元カノと付き合い始めたころに言われ………あれ………?」
「どした」

 ふと気付く、今まで気にもしていなかった事実。
 電池切れのオモチャみたいに口を開けたまま動きの止まったオレを、ナラちゃんが怪訝そうに覗き込んでくる。その少し吊り上りぎみの瞳を、じっと見つめ返した。

「オレら、二人ともフリーなのって、初めてじゃね?」

 何を言い出すのかと思ったのかもしれない。ナラちゃんは、ゆっくりと瞬きをした。綺麗な二重だな、なんて、オレは全然関係ないことを考えた。やっぱり、どうかしてるのか。

「そう言われりゃ………どっちかが付き合い始めるっつうときに、どっちかが別れるみてェな………」
「だろ?なんか、新鮮っつーか、落ち着かねーっつーか…………」

 きっと、そのせいなのかもしれない。
 オレら二人はいつも、お互い同時にフリーになることはなくて。カノジョだとか好きな子だとか、大抵どっちかにそういう類のものが存在していて。だから、お互いフリーって珍しい状況に、自分の気付かないところで動揺しているのかもしれない。
 そうだ、きっと、そのせいだ。ナラちゃんのいつもの無邪気な笑顔が、妙に可愛く見えるのも。振り払いきれなかった自分が、全てを壊すような不埒なことを言おうとしてるのも。
 どこかで聞こえる「やめろ」という声は、裏に潜んでるオレの声?それともカミサマの声か。
 ああ、そうか。だからなんだ。オレがカミサマを信じてないから、脳の伝達組織が機能停止して、「止まれ」のサインを出さないんだ。





「俺らさ…………恋、しちゃってみる?」

 隣に座るナラちゃんの瞳が揺れた。
 それはまさに、瞳の奥の火が強い風でもって吹き消されそうになるのをぐっと堪えたような揺らぎ。
 こんな喩えしちゃってオレって意外にポエマーだったんじゃん?と他人事のように考えてる脳の片隅で、なんであんなこと口走ってんだよ!と思っているオレがいる。

 まじで、なんであんなこと。なんて、過ぎたことを悔やんでもしょうがないんだけど。それでも、何も返事をしないナラちゃんと一緒にいると、まるでこの数秒が数時間にも感じられるようなスローモーション。
 走馬灯って、こういうことを言うんだろうか。ナラちゃんと仲良くなってからの三年間のことが、一気に溢れかえるように脳内に浮かんでくる。野球部の仮入部で初めて会ったときの第一印象だとか。一人こっそりと自主練してる姿を見てしまって、コイツにだけは負けらんねぇと思ったことだとか。購買のパンを偶然にも同じモノを掴んで取り合ったりしたことだとか。体育大会のリレーでオレの次の走者だったナラちゃんにうまいことバトンを渡せたこと、修学旅行でちっとも面白くないことで二人で笑って楽しんでたこと、オレってこんなにナラちゃんとの思い出だらけだったんだってくらい色んなことを思い出して、あんなことを口走って今更だけど、今まで会った中でこれ以上ないってくらい気が合う相棒なんだと気付く。
 だから、頼むよ、ナラちゃん。そんな目すんなよ。いつもみたいに吹き出せよ。笑えねー!とか言いながら思いっきり笑い飛ばしてくれよ。もっとマシなこと言えっつって腹抱えてくれ。そしたらオレも、一緒に笑い飛ばして、元に戻せるから。

「………な、に……言ってんだよ………」

 ああ、ダメだ。そんな、抑えるみたいな震える声を出されたら。なかったことに、できなくなる。

「そ、だよな………なに言って、」

 腹から搾り出すように発した声は、喉元で変に掠れた。それはもろに、オレの中の焦燥感を表していて、誤魔化すように笑ったけど、それもぎこちなく歪んでしまって、もう何も聞かれないように、見られないように、隣のナラちゃんの身体を強く抱き寄せた。

 こんなに一緒に楽しめるヤツは他にいないってくらい、かけがえのない相棒。もしかしたら、こんなヤツ、これからの人生でもう出会えることはないかもしれないから、恋とか愛とか、そんな関係にしたらもったいないのかもしれない。それでも。

「………もっと、笑えること言えよ」

 オレの肩に額を当てて少し震えているナラちゃんの身体を、離すことはできないから。

 なぁ、ナラちゃん。オレと、戻れない恋をしよう。


Fin
珍しく高校生で。青い春的な感じを目指しました、が……。
普段と違う状況になってみて初めて自分の気持ちに気付いた二人的な……ベタですね。

2009.07.16 杏冶
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